歴史

アリゾナの歴史 (目次)
1. アリゾナの先住民族 6. 合衆国準州アリゾナとインディアン
2. 現在のアメリカ先住民 7. 鉱山産業の発展
3. スペイン勢力の侵攻 8. 合衆国州アリゾナ
4. メキシコ時代のアリゾナ 9. 成長と発展
5. 米墨戦争 10. 年表(クロノロジー)

 


 

歴史
アリゾナの先住民族
   

1912年2月14日にアメリカ本土で最後に州となったアリゾナは、その歴史を紐解くとアメリカ先住民族が数万年前から営々と生活を営んできた地域であったことがわかる。アリゾナ全州に点在する遺跡の数々は、かってこの地で生活を営んできた彼らの文化の一端を現在に伝えている。 アメリカ先住民族の歴史ははるか古代に遡る。彼らは2万年以上もの昔、アジア大陸からベーリング海峡を渡り、マンモスを追い求めながら、ロッキー山脈沿いにこの地に現れたと言われている。 現在のアリゾナと言われる地域にはその文化様式の違いから、大小6つの種族(ホホカム、アナサジ、モゴロン、シナグア、サラド、パタヤン)が住んでいたと言われる。彼らは洞穴生活から次第に岩窟の住居を造り、更に泥土や石で集合住居を造りようになり、村を形成していった。彼らはトウモロコシ、まめ、カボチャ、綿を栽培し、美しい土器を作っていた。中にはホホカム族のように灌漑設備を作り、高度な農業文化を築いた種族もあった。

ところが、これらの種族は1200年後半から1450年までに突如アリゾナから消滅している。その理由として、1200年後半にアリゾナを襲った大干ばつ説、他種族による侵略説、灌漑用水への塩の堆積説、病気説があるが、依然はっきりしていない。彼らはその後メキシコに移動したと言われているが、アナサジ文化は現在のHopi族に、ホホカム文化はPima族とPapago族に受け継がれていると言われている。

     
現在のアメリカ先住民
   

アメリカ先住民を総称し、アメリカインディアンと言う。(現在はNative Americanが普通。)その由来はコロンブスが、到達した地域をインディアス(インド以東のアジア地域)と信じ、その住民をインド人(インディアン)と報告したことによる。

現在、アリゾナにはナバホ、アパッチ、ホピといった14種族が20の居留区に住んでおり、その総面積はアリゾナ州の約1/4にあたる。また、ナバホ、アパッチ族が話すAthabaskan語をはじめ、Yuma語、Pima語、Shoshonean語の4言語が現在も使われている。第二次世界大戦の時、ナバホ族の従軍兵29人は彼らの言語を使った独自の暗号を考案し、暗号部隊として活躍した。彼らの活躍は2002年6月にアメリカで公開された映画「Wind Talkers」で描かれている。 また、アリゾナにはインディアン語源の地名も多く残る。州名の「アリゾナ」はPapago族語の「小さな泉」、「乙女の泉」(Arizonac)に由来し、ツーソンはPapago族語の「黒いふもと」(Chuk Shon)をスペイン語風に翻訳したものと言われる。

     
スペイン勢力の侵攻
   

1521年にメキシコにあったアステカ帝国を滅ぼしたスペインは金や宝石を求め、北上を始める。 最初に現在のアリゾナに足を踏み入れたのはイタリア人でスペインに仕えていたフランシスコ修道会のマルコス・デ・ニザである。彼は1539年スペイン総督の依頼によりニューメキシコ ギャロップの近くにあると言われるズーニー族の伝説の村「Seven Golden Cities of Cibola」を探し求めてこの地を訪れている。これらの町は通りや壁が金や高価な宝石で覆われていると噂されていた。

翌年にはコロナド率いるスペイン探検隊がCibolaを探し求めてやってきた。同年7月にCibula(現Hawikuh遺跡付近と思われる)に着く。彼らは金や宝石を発見することはできなかったが、植民地としての重要性を報告している。 この月にズーニー族と探検隊の武力衝突が起きている。これがインディアンと白人の最初の交戦と言われており、これ以降、両文明の衝突が数百年に渡って繰り広げられることになる。

この年以降、多くの宣教師や探検隊、植民地開拓者たちが続々と訪れるようになる。彼らはインディアンに布教をし、時には彼らの仕事に従事させようとするが、これに反発するホピ、アパッチ、パパゴ等のインディアンたちが彼らを襲撃するようになる。1752年スペイン政府はこれらの反乱を防ぐために、Tubacにアリゾナで初めての白人入植地となる軍事要塞を建設した。

1687年にこの地に赴任したイエズス会修道士フランシスコ・キノは精力的な布教活動を行い、また、より適した農業技術を広めていき、その強靱な忍耐力と熱意をもって、次第にインディアンたちの信頼を勝ち取っていく。しかしながら、1767年スペイン本国の政策転換によりイエズス会はスペイン植民地から追い出されることになり、彼の努力は水泡と化してしまった。

その後、フランシスコ修道会が布教に努めるが、以降、1821年にメキシコがスペインから独立するまでの間、自治を維持する戦いをしながら、苦しい環境下での布教活動を続けることになる。

     
メキシコ時代のアリゾナ
   
1830年代のアリゾナ西部はツーソン周辺をのぞき、アパッチ族に支配されていた。メキシコ政府が財政難により、約束した量の食料を支給できなくなったとき、アパッチ族の襲撃が再び始まった。これに手を焼いたソノラ州政府は1835年に「Project of War」と呼ばれるプログラムを発表、アパッチ戦士の頭皮に100ペソ、女性のものに50ペソ、子供のものに25ペソの賞金をかけた。これに血に飢えたごろつきが群がり、この「皆殺し活動」は瞬く間に広がり、多くのアパッチが殺された。しかし、これはかえってアパッチ族をより残忍で、好戦的にしていくだけであった。
     
米墨戦争
   

1821年にメキシコがスペインから独立したことにより、現在のテキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニア、ユタ、ネバダ、コロラドはメキシコの領土となる。米墨戦争のきっかけは1835年のテキサスのメキシコからの分離独立戦争であった。この戦争で「アラモ砦の悲劇」が起こるが、テキサスはアメリカの支援のもと、翌年独立を果たす。1845年、米国議会はメキシコの抗議を無視し、テキサスの併合と準州昇格を承認、これを受け、メキシコは国交断絶を宣言している。同年、ポーク大統領はテキサス?メキシコの国境確定とニュ?メキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの買収(30M$)を提案するため、使節団を送るが、入国を拒否された。1846年、リオグランデ付近の国境で武力衝突が発生した。その後、メキシコ軍が米軍を「越境」攻撃、16名の米兵を殺害、これを口実にアメリカが宣戦布告した。

1848年、戦争はアメリカの勝利で終結、メキシコ政府はテキサスを諦めると同時に、アリゾナの一部とニューメキシコ、カリフォルニア、ユタ、ネバダ、コロラドを譲渡した。その後1853年にガデデン買収と呼ばれる条約が締結され、アリゾナとニューメキシコの一部を合衆国が10M$で買収、現在の国境が引かれている。

     
合衆国準州アリゾナとインディアン
   

ガデデン買収時のアリゾナはニューメキシコの一部であった。その領土があまりにも巨大であることから、1856年現在のアリゾナを準州として分離することを議会に請願したが、可決されなかった。しかし、市民たちは1860年4月にツーソンに暫定政府を設置、州憲法を設定し、分離に向けての準備を進めていた。

1861年に始まった南北戦争により、暫く論議が止まっていたが、1863年リンカーン大統領がアリゾナをニューメキシコと分離し、準州とする法令に署名した。 この後、1848年カリフォルニアで始まったゴールドラッシュと鉄道の発達、銀、銅の鉱脈発見により、多くの人々が仕事を求めてアリゾナに入ってきた。これに伴い、インディアンとの戦いはより悲惨さを増していき、ナバホ族の「Long Walk」「Camp Grantのアパッチ族大虐殺」「アパッチ戦争」等のエピソードを生むことになる。

     
鉱山産業の発展
   

アリゾナのゴールドラッシュは1858年Yuma近くのGila Riverで金が発見されたことから始まる。1862年にはYuma近くのColorado Riverでも金が発見されている。このほかPrescott周辺のCreekでも砂鉱が発見されており、これらの金が南部軍に渡ることを防ぐため、リンカーンがアリゾナの準州化を認めることを早めたと言われている。

ゴールドラッシュが去り始めた頃の1871年、軍人Sullivanが軍用道路建設中に現在のSuperiorで豊富な銀鉱脈を発見する。しかし、彼はその直後忽然と姿を消しており、一説には権利を申請に行く途中でアパッチに襲われたのではないかと言われている。これ以降、GlobeやPrescott等で次々と鉱脈が発見され、銀が主要生産物となっていく。

1877年にはエド・シーフリン(Ed Schieffelin)がTombstoneで、大銀鉱脈を発見する。これにより、Tombstoneは栄華を極めるが、同時にならず者の町として知られるようになり、実話をもとにした映画「OK牧場の決闘」のような保安官とならず者の対決が繰り広げられた。その栄華も1888年鉱脈への莫大な地下水の流入により、幕を閉じることになる。これを契機にアリゾナの主力産業は銅へと移っていく。余談ではあるが、シーフリンは1880年に採掘権を高額で投資家に売っている。なんと幸運な人であろう。

1860年代は金に沸き、1870年代中から1880年代中までは銀に沸き、それ以降は銅が取ってかわる。 1874年Globeで豊富な銅鉱脈が発見された。また、その2年後にはPrescottでも大鉱脈が発見されている。1880年代まではその需要はさほど大きなものではなかったが、1880年代の鉄道の発達と80年以降の電気、電話の発明や電気製品の発明により、一大ビジネスとして発達していった。現在でもアリゾナの銅生産量は全米一である。

     
合衆国州アリゾナ
   

1863年に準州として承認された後、翌年にPrescottで初めての議会が開催された。市民たちはより自分たちで自治ができるように早く州に昇格するべく精力的に活動を行った。 1904年にニューメキシコとの合併で一つの州とする提案が連邦議会に提出される等の問題はあったものの、1912年2月14日午前10時、タフト大統領の署名により大陸最後の48番目の州として承認され、州都をPhoenixに定めた。

最初の選挙で民主党議員ジョージ・W. P. ハントが知事として選出されている。彼はその後7度再選され、ルーズベルトダム、クーリッジダム、フーバーダム等の灌漑設備に力を入れ、綿、柑橘類等の農業も盛んになり、アリゾナ発展の礎を築いた。

彼は大変個性が強く、1916年の第3回目の知事選の際、対抗の共和党トム・キャンプベル(Tom Campbell)にわずか30票差で負けたが、これを認めず、翌年1月1日に両候補が知事として宣誓をする事態となった。ハントは票の再集計を要求、その結果、43票差で自分の勝ちであることがわかると、裁判所に訴えた。これが棄却されても、なお納得せず、州最高裁に上告、最終的に勝利を収めている。(2000年の大統領選を思い出します。)この間の11か月間、キャンプベルは無給で知事職を努めた。その後、キャンプベルは1919年から1923年まで州知事を務めることになる。

     
成長と発展
   

3つのダムの建設は農業を活発にし、特に綿を基幹産業の一つに育て上げた。世界恐慌により少なからず打撃を受けた経済は第2次世界大戦の勃発により、急速に回復する。銅や食物の需要があがるだけではなく、多くの軍事産業が進出し、操業を始めた。これが後のハイテク産業の礎となる。1940年から1950年の10年間でアリゾナの人口は25万人から75万人に増加している。しかし、これはアリゾナ発展のスタート点にすぎなかった。

1970年前半に大がかりな「Central Arizona Project」が始まり、水路や灌漑設備の整備により、PhoenixやTucsonに水を供給できるようになった。水の安定的供給は砂漠から農業地へ、そして都市へとアリゾナを変えていった。また、空調技術の発達はアリゾナを一年中快適に過ごせる場所へと変えている。グランドキャニオン、サワロの2つの国立公園とモニュメントバレー等の14の国定記念公園をもつ美しい自然に恵まれたアリゾナは観光サービス産業の基盤そのものである。

2000年の人口調査ではアリゾナは513万人(全米20位)になっており、Phoenixは132万人(全米6位)の都市へと成長している。2001年にはダイヤモンドバックスが大リーグで優勝、アリゾナはますます活気にあふれた州へと成長している。


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年表(クロノロジー)
アリゾナはアメリカ本土で最後に州となった若い州ですが、その歴史を紐解くとアメリカ先住民族が数万年前から営々と生活を営んできた古代大陸であったことがわかります。それを年表をたどりながら見てみましょう。

紀元前15000〜12000年 古代人がアジア大陸からベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸に移動。(推定)
紀元前10000〜500年 Cochise文化がアリゾナ南東部に栄える。
紀元前500年

ホホカム(Hohokam)族文化がアリゾナに出現。

200〜1200年

アナサジ(Anasazi)族文化が出現。

300年〜1200年

モゴロン(Mogollon)族文化が出現。

1000年〜1300年 ナバホ(Navajo)族、アパッチ(Apach)族がアリゾナに現れる。
1100年〜1150年 ホピ(Hopi)族がmesa地区に現れる。
1064年 サンセットクレータ火山が噴火。
1276年〜1299年 アリゾナを大干ばつが襲う。
1200年後半〜1450年 アナサジ、モゴロン、ホホカム族が消える。
1492年 コロンブスが新大陸を発見。
1521年 スペイン軍人コルテス(Cortes)がメキシコのアステカ帝国を征服。
1539年 マルコス・デル・ニザがCibolaの7つの黄金都市を探すためにアリゾナに足を踏み入れる。
1540年

・ 探検家コロナドがニューメキシコ西部のHawikuhにあるズーニー(Zuni)インディアンの住居を発見、Cibolaの7つの黄金都市の一つと信じ込む。

・ ドン・ガルシア・ロペス・デ・カルデナス(Don Garcia Lopez de Cardenas)がグランドキャニオンを探検。

1582年 アントニオ・デ・エスペホ(Antonio de Espejo)がアリゾナを探検。
1675年 フランシスコ修道会がホピ族の領地に公館を設立。
1680年 ホピ族が反乱を起こす。
1687年 イエズス会修道士フランシスコ・キノがSonoraで伝道活動を行う。
1694年 キノがサンタ・クルーズ(Santa Cruz)とヒラ(Gila)渓谷の探索をし、カサ・グランデ(Casa Grande)の遺跡を訪れる。
1751年 ピマ・インディアンがSan Xavior del BacとSan Gabriel de Guevaviの使節団を追い出す。
1752年 要塞がサンタ・クルーズ川沿いのTubacの村に設立される。アリゾナ初の白人入植地となる。
1821年 メキシコ、スペインから独立。
1821年〜1848年 アリゾナはメキシコの領土となる。
1845年 テキサスが28番目の合衆国州となる。このときPolk大統領はミッションをメキシコに送り、テキサスの西部とアリゾナの買収をメキシコに提案した。
1846年 アメリカ合衆国、メキシコに宣戦布告。
1848年 アメリカ合衆国、戦争に勝利し、アリゾナの一部を奪う。
1854年 ジム・ガデデン(Jim Gadsden)がメキシコと国境線について、交渉、アリゾナ、ニューメキシコを買収。
1856年 アメリカ騎兵隊がTucsonに配備される。
1858年 金がGila River付近で発見される。
1863年 リンカーン大統領がアリゾナをニューメキシコと分け、アリゾナ準州とする法令にサイン、議会が設立される。
1864年 準州の首都をPrescottに設立。
1864年 キット・カーソン(Kit Carson)がナバホ族をChelly Canyonで破り、彼らをニューメキシコのBosque Redondo居留区に移す。
1868年 準州の首都をTucsonに移す。
1877年 銀がTombstoneで発見される。
1877年 準州の首都がPrescottに戻される。
1880年 Phoenix市が設立される。
1886年 アパッチ族首領ジェロニモ、米騎兵隊に降伏。
1889年 準州の首都がPhoenix市に移される。
1900年 アリゾナの人口 122,931人
1906年 アリゾナの有権者がニューメキシコとの統合に反対。
1910年 グランドキャニオンが国立公園となる。
1911年 ルーズベルトダムが煉瓦作りで最も高いダムとして完成。
1912年 2月14日、アリゾナが48番目の合衆国州となる。
1920年 アリゾナの人口 334,162人
1928年 クーリッジダム(Coolidge Dam)が完成。
1930年 アリゾナの人口 435,573人
1936年 フーバーダムが完成。
1940年 アリゾナの人口 499,261人
1948年 アリゾナのインディアンが投票権を獲得。
1950年 アリゾナの人口 749,587人
1955年 人口が100万人を越える。
1960年 アリゾナの人口 1,302,161人
1970年 アリゾナの人口 1,775,399人
1975年 Raul H. CastroがMexican-Americanとして初の州知事となる。
1980年 アリゾナの人口 2,716546人
1988年 Rose Moffordが初の女性州知事となる。
1990年 アリゾナの人口 3,665,228人
2000年 アリゾナの人口 5,130,632人
2001年 ダイヤモンドバックスが大リーグワールドシリーズで優勝。

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