当時ツーソンは、アリゾナ最大の町で1867年から1879年の間、準州(テリトリー)の州都であった。ところが、州都をプレスコットに奪われたツーソンは、州都奪回を目指す。そのころのアリゾナの各地は、収入源を求めて躍起になっていた。
1885年、第13回準州議会が行われた。この議会は「泥棒の13回」とも呼ばれるほど、無謀で力と金にまかせて、各地域がそれぞれの利権を獲得しようと必死になった。州都、州拘置所、精神病院などを誘致することで財源を確保しようとしたのだ。したがって、教育は第二義的で、教育機関の設置に興味を示す者は少なかった。
しのぎを削った州議会の結果、フェニックスは予算10万ドルの精神病院を獲得。テンピは、予算5千ドルで師範学校(後のASU)。ユマは、ヒラリバーの土手に新しい堤防を。プレスコットは、州都を。フローレンスは、ヒラリバーの橋を。そして、ツーソンが獲得したものは、2万5千ドルの大学だった。フェニックスの4分の1に過ぎないこの額。
ツーソン市民の落胆は想像を絶した。
ピマ郡を代表して議会に出ていたのが、C.C.スティーブンス。彼は弁護士で、ツーソンに州都を取り戻すことができる有能な人間として議会に送り込まれた。
彼はツーソンに戻り、説明会を行う。ところがツーソン市民の絶望と憤りは怒声となって彼を襲った。彼は、卵や腐った野菜を投げつけられ罵倒された。猫の死体まで飛んできたと言われている。