ヘイデンは、準州議会に自分の主張を指示する若手政治家アームストロングを送り、議会は、民主/共和党の党勢拡大、各地域の利権獲得がからみあって、しのぎを削る論争の場となった。まだ人口の少ないテンピが師範学校の地に選ばれる可能性は大きくなかった。また、州都をプレスコットに奪われたツーソンは、州都奪回に躍起となっていた。
結局、1885年、準州議会は「大学法案」を可決し、テンピに師範学校が作られるになった。そして、ツーソンは、州都奪回をあきらめ、その代替として準州立大学の設立を可能にしたのだ。
ヘイデンが議会でロビー活動をしている時、ひとつの妙案が挙がった。個人の敷地を準州政府に寄付す業者れば、テンピの学校設立に好条件を備える事ができると考えた。当時、テンピで20エーカーの牧草地を持っていた屠殺業者ジョージ・ウィルソンは、自分の敷地の内5エーカー安価で売却すると申し出た。この土地は、現在のユニバーシティー・ドライブの南側に当る場所で、1エーカー100ドルで売られ、テンピ市民がそれぞれポケットマネーを捻出して出し合った。ところが、後に合計で20エーカー必要なことが確認され、ウィルソン夫妻は、全てを捨てる覚悟で、残りの15エーカーの土地を学校に寄付したのだ。その後、妻のマーサが亡くなると、ジョージ・ウィルソンは、校舎の管理人として1916年の死去まで学校に尽くした。
1956年に彼の功績を称えて、女子寮が建設され、ウィルソン・ホールと名付けられた。1972年にウィルソン・ホールは、教室となり、現在は大学院のオフィスとなっている。