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マサチューセッツ州に弁護士の息子として生まれる。彼の祖父、ウィリアム・プレスコットはアメリカ独立戦争の際、大佐としてあの有名なバンカー・ヒルの戦い(1775年)に臨んだ軍人。従って祖父の名前を引き継いだことになる。彼はハーバードで学んだが、ある日事故で左目を傷つけ、失明。一方右目も病気を患い、一生視覚を確保するために苦労した。父と同じ法律の道を志したが、目の支障からヨーロッパで治療を受けるべくアメリカを離れる。このヨーロッパ滞在が彼の歴史小説を書き始めるきっかけとなった。彼には不運を成功に向ける力があった。
1837年に「フェルディナンドとイザベラの統治の歴史」を著作。15世紀のスペイン統一に大きな貢献を果たしたフェルディナンドとイザベラの結婚のストーリー。この著作でプレスコットは一挙に歴史家として注目を浴び始めた。1843年には「メキシコの征服の歴史」でスペインのメキシコ帝国の征服を描き、1847年の「ペルーの征服の歴史」、1855年から1858年までに3巻で出版された「フィリップ2世の統治の歴史」など次々と著作活動を展開。アメリカで最も有名な歴史家となった。
マコーミックがアリゾナの州都の名前をプレスコットとしようと提案した1864年は、歴史家プレスコットが逝去してまもなくの頃で、アメリカ人の間で非常に著名な作家として受け入れられていたのだ。 |
アリゾナ準州の女性の話
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プレスコットに州都が決まるとまもなく、リチャード・マコーミックの新妻マーガレットがアリゾナに引っ越して来て、夫婦で生活を始めた。ところが突然不幸が訪れる。1867年に最初の子を身籠ったが、流産し子供もマーガレットも死亡。彼女は24才の誕生日を迎える直前だった。彼女の思い出をバラに託し、バラの木が知事のマンションに植えられた。このバラは今でもシャーロット・ホール博物館で美しい花を咲かせている。 |
キャロリン・ラモス |
当時はプレスコットに住む女性はたった二人だった。その一人がキャロイン・ラモス。荒々しい西部の男達の社会で、「聖母マリア」と呼ばれる程の存在だった。その理由は...。
彼女はプレスコットでレストラン兼下宿屋を営んでいた。その名はフォート・ミゼリー。店の前の看板には「一部屋食事付き、25ドル。金(ゴールド)または現金、前払い。」
食事のメニューは、余りバラエティーに富んでいるとは言えなかったが、とにかく腹が減った男達には格好の食事の場となった。そして、日曜日。この日が来ると、フォート・ミゼリーは教会に変身するのだった。 |
ウィスキー・ロー (Whisky Row) |
モンテズマ・ストリートに沿って40ものサロンが建ち並んだ。最初の酒場がケンタッキー・バー。グッドウィンとモンテズマの角にあり、ウィスキー・ローの最後の酒場がサンタフェ・デポ。カウボーイ達はケンタッキー・バーで喉を潤し、次々とバーを飲み歩いて、最後にサンタフェ・デポにたどり着き、へべれけになって酔っぱらうのが毎日の生活だった。酒の強い連中は、サンタフェ・デポからもう一度もとに戻って、ケンタッキー・バーまではしご酒だ。酒場のオーナー達は、客を引きつける為にルーレットやトランプのギャンブルを取り入れた。ギャンブルで一文無しになる男達は躍起になって金鉱に戻って金を探したようだ。
州が大きくなり、市民の力が伸びると、学校や教会などが中心となってサルーンやギャンブルの撤廃を州に訴えた。そして、ついに1914年、州内のギャンブルは非合法となったのだ。 |
町の発展
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州都となったプレスコットは、急速に発展する。町にはアメリカ中西部やニューイングランドから来たパイオニア達で溢れていた。町の建物はそのほとんどが木材でできていたが、1900年に大火が起こりダウンタウンはあっという間に灰と化してしまった。その後、町の再建はレンガと石を使って行われ、現在に至っている。1918年には郡裁判所が建設され、コートハウス・プラザができ、市民の憩いの場となってきた。 |
州都の移動
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プレスコットが州都であったのは1864年から3年。1867年にはツーソンが州都を勝ち取った。そして、1877年に再びプレスコットに戻ってきたのだ。 |
第13回準州議会
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1885年、各地の代表がプレスコットに集い、準州議会が開かれた。第13回目で「どろぼうの13回」と呼ばれる程、醜い会議で終始した。州都を奪われたツーソンは再度州都奪回にやっきとなていた。フェニックス、ツーソン、プレスコットの代表者はそれぞれ自分たちの利権を主張し、州の施設(病院、拘置所、橋、学校など)を確保しようと争っていた。金と力にまかせた議論はどこの政治の世界も同じようだ。
ピマ郡(ツーソン)の代表者達は、州都奪回だけを目標にプレスコットを目指していた。ところが予想を裏切る災難が起きた。嵐でソルト・リバーが氾濫し、彼等は北上できない。そこで、余儀なくマリコパから汽車に乗り込み、ロサンゼルスに到着。ロサンゼルスから汽車を乗り継ぎプレスコットより50マイル北のアシュ・フォークにたどり着いた。アシュ・フォークから幌馬車に乗ってプレスコットを目指す。ところが大雪のため馬車がヘルズ・キャニオンで立ち往生してしまった。彼等の一人、ボブ・レザーウッドは、持って来た現金を全部カバンの中に入れ、そのカバンを持ってラバにしがみつき、山道をプレスコットまで走り通したのだ。
ところが、彼がプレスコットの会場に入った時は、すでに遅すぎた。全ての議事は終了しており、州都はプレスコットが保持。テンピに学校、フェニックスに病院、ツーソンに大学と決まっていた。彼等がツーソンに戻ったころは、ツーソン市民から罵倒の連続を受けざるを得なかった。この大学が今のアリゾナ大学なのだが、当初は誰も興味を示さなかったようだ。 |
第14回議会
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さて、4年後。第14回議会が開かれた。今度はフェニックスが州都を狙う。その経緯のエピソード...マリコパ郡(フェニックス)の代表者達は一案を練る。最後の投票の時期にヤバパイ郡(プレスコット)の代表者が投票に遅れて権利を放棄するようにさせようというのだ。ヤバパイ郡の代表者の一人で片目の義眼をいつも着けている男がいた。どこに行くにもこの義眼なしでは外出しない男だった。マリコパ郡の代表者はこの男に的を絞った。
通称キッシン・ジェニーという女性がプレスコットにいた。毎晩、会議が終了すると、この男は飲みに出かけるのが常だった。その後、キッシン・ジェニーの私室で彼女と夜を過ごすのだった。
マリコパ郡の代表者は、一計を持ってキッシン・ジェニーに近づき、ある交渉をしたのだ。
さて、ある晩、この男はウィスキー・ローで酒を飲み、いつものようにキッシン・ジェニーの所へ出向いた。彼は寝る前にランプの灯を吹き消し、彼の義眼を大事にコップの水の中に入れ、そのコップをベッドの横に置いて眠りにつく。深夜、ジェニーは喉が渇いたと言って、このコップの水をぐっと飲んだ。同時に彼の小さな義眼は彼女の胃の中に水と一緒に飲み込まれてしまった。
翌朝、彼が起きると目がない。彼はどこに行くことも拒絶して、結局議会に顔を出さなかった。と言うより出せなかったのだ。こうして、一票がなくなったヤバパイ郡は州都を確保することができず、フェニックスが見事に州都となったのである。 |