2003年 8月号 特集

 
時代の変遷と闘う
ヒラ・リバー・インディアン居留区



Gila River Indian Reservation

居留区に追い込まれて苦闘を余儀無くさせられてきたアメリカ・インディアン。アリゾナにある21の居留区は、それぞれ伝統の保持のみにとどまらず、激動の新時代を生き抜くために様々な知恵を駆使して、闘いを挑んでいる。 居留区内で彼等が抱えている貧困、病気、アルコール依存症、犯罪などの問題の克服には、想像を絶する努力が必要となる。
今月は、この居留区のひとつ、ヒラ・リバー・インディアンに焦点を当ててみた。


ヒラ・リバー・インディアンが経営するカジノ



アリゾナの居留区
 
1. カイバブ・パイユ
2. ハバスパイ
3. サンホアンン・サザン・パイユ
4. ナバホ
5. ホピ
6. ヤバパイ・プレスコット
7. ヤバパイ・アパッチ
8. トント・アパッチ
9. ホワイト・マウンテン・アパッチ
10. サン・カルロス・アパッチ
11. フォート・マクドウェル・ホハビ・アパッチ
12. ソルト・リバー・ピマ・マリコパ
13. ヒラ・リバー
14. アク・チン
15. パスカ・ヤキ
16. トホノ・オ・オドム
17. ココパ
18. フォート・ユマ・キチャン
19. コロラド・リバー
20. フォート・モハビ
21. ワラパイ



ヒラ・リバー (Gila River) 居留区の概要

ヒラ・リバー居留区は、フェニックスの南にあり、マリコパ郡とパイナル郡にまたがっていて、その面積は372,000エーカー。1859年に連邦議会の決議で設立された。
歴史

この一帯は、紀元前4世紀ころから、古代インディアンのホホカム族が活躍をしていたことで知られている。ホホカム族の際立った特徴は、その灌漑用水路の建設だ。厳しい砂漠環境の中で農業を営んだ彼等は、実にユニークな用水路の建設で生き延びた。しかも、荒れた土地を掘ったのは石と木で作った原始的な道具。掘った土砂は、手作りのかごで運んだようだ。

ホホカム族は、1400年ころに突然その姿を消し、用水路だけが残った。詳細は不明だが、考古学者の研究の結果、ホホカム族の子孫達が現在のピマ族とパパゴ族のようだ。
19世紀にはマリコパ族がこの地に移り住み、ピマ族と一緒にヒラー・リバーに沿って生活をしてきた。とりわけ、アパッチ族などの敵に対して共同して戦ってきた。
1694年にスペイン人宣教師がこの一帯に到着。彼等は、麦など新しい穀物のをインディアンに教え、馬や牛を持ち込んだ。これによって、メキシコやヨーロッパから次々と人が訪れることになる。

 
1854年のガズデン買収契約が結ばれて、この地はアリゾナに属することになった。その後この地に来る白人にインディアン達は友好的に接し、水や食料、道案内を提供した。
居留区が設立された後、居留区は長い間、連邦政府のインディアン局が統治し、独立した行政が認められなかった。その期間に居留区に蔓延したものは、筆舌に尽くせぬ貧困だった。
1934年、ウィーラー・ハワード法によって、各居留区が独立した政府を作る権利を獲得した。ヒラ・リバーは、こうして知事と種族評議会を設立し、サカトンに行政事務所を置いた。

ヒラ・リバーの悲劇

ヒラ・リバーはかつて水を満々とたたえる川だった。ある時は乾燥し、ある時は氾濫を起こしながら、アリゾナを東西に流れてきた。川はアリゾナ東部のホワイト・マウンテンを源とし、その水によって、ホホカムは農業を発展させ、ピマ族も農業を営むことができた。
ところが、米政府は、ヒラ・リバーの上流をせき止めてダムを建設。1937年のことだ。このダムは、サン・カルロス・ダムと呼ばれる。ダムができると、ヒラ・リバーから水が消えた。ここに生活をしてきたインディアンは一挙に乾燥地獄に落ちてしまう。今まで食料は自分達で自給自足してきたのだが、突然、連邦政府の援助なくしては食べていけなくなった。
インディアンの食事の内容が急変する。この変化によって住民の健康に多大な影響を与えることになった。それが、極度の肥満と糖尿病だ。ピマ族は、世界中で最も糖尿病の率が高い人種となってしまった。
政府依存の生活は、肉体的な健康を損なうだけでなく、社会的また精神的な健康にも打撃を与えた。アルコール依存症、高い失業率、低い就学率、頻繁な犯罪など居留区にはびこる深刻な社会問題となってきた。



 
蘇生への道

こうして苦渋の道を歩んできたヒラ・リバーのインディアン社会も少しづつ蘇生への道を探り、歩みを進め始めた。
まず、経済の活性化。居留区内に3ケ所の工業用地を建設して経営。中でもローン・ブュテ・インダストリアル・パークは、アメリカ・インディアン経営の工業用地の中で最も成功している例となる。その他、カジノ、レース場、ゴルフ場の経営も手掛ける。
カジノは、社会的に賛否両論あるものの、居留区の大きな財源となっていることは間違いない。  こうした事業の収入は、居留区内の消防署や警察薯の強化、雇用の推進、腎臓透析センターへの資金援助に使われている。
また、教育の活性化にも力を入れ、インディアンの伝統芸能の教育も含めながら、数学、科学、英語の教育を促進。現在、居留区内に小学校・中学校が7校、高校が1校あり、慢性的な低い就学率と戦っている。
そして水。そもそも水源を奪われて過酷な苦労を強いられてきた居留区だ。水の利権をめぐって長い闘いがあった。本年2月にソルト・リバー・プロジェクト社とヒラ・リバー居留区の両者が和解合意し、居留区内に年間平均653,500エーカー・フィートの水が送られてくることになる。

ヒラ・リバー居留区と日本人

ヒラ・リバー居留区は、日本人/日系人にとって忘れることのできない場所だ。第二次世界大戦中に、日本人/日系人の収容所が設置され、約13,000人が収容された。今ではその収容所跡に記念碑が建てられている。
何の罪もない人達が戦争が始まるや否や、今までの生活を全て捨てて、全米の各地に収容されてしまった。
まさに、日本にとってもアメリカにとっても苦い歴史が残されている場所だ。ヒラ・リバー・インディアン・センター内にある博物館には、この収容所の模様が展示されている。一見の価値あり。場所は、I-10フリーウェイをを175exitで下りて標識に従って行くと、高速道路の西側に見えて来る。し






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