2002年 7月号 特集

インディアン・スクール、今と昔(3)


 

インディアン・スクールの歴史は今月が最終回。
閉校時から公園として生まれ変わるまでの流れ
を見てみよう。

 
 
土地交換が生んだインディアン・スクール公園

連邦政府が運営してきたインディアン・スクール。従って、フェニックス・インディアン・スクールの敷地は連邦政府が所有管轄してきた。この連邦政府の敷地がどうして市営公園となったのだろうか。これには大変興味深い経過があった。

連邦政府の自然保護政策

1956年、魚類および野生動物保護法が議会で可決した。同年、アメリカ野生動物保護制度管理法も可決される。この法律によって、野生動物の保護のために野生動物が生息する国内の土地を、連邦政府が獲得して管理しようとした。そのために、私的に保有されている土地と不必要な連邦政府の土地とを交換することを法的に可能としたのだ。

一方、フェニックス・インディアン・スクールは、高等学校としてアリゾナに定着していた。しかし、インディアン局はインディアン居留区に学校を作ったため、当インディアン・スクールは1990年に閉校となった。

当然、連邦政府は閉校となったフェニックス・インディアン・スクールの土地を有効に使うことを考えた。そこで政府が目をつけたのは、南フロリダにあった107,800エーカーの土地だった。この土地は、広大な湿地と森林地帯で、コリア (Collier) 一家の経営する企業 (Barron Collier Company) が所有していた物件だが、フロリダの自然保護のために、政府が土地獲得を計る。

連邦政府はコリアに土地交換の話を持ちかけた。法的にも1988年11月にアリゾナ=アイダホ保存法が可決。この法律によってフェニックス・インディアン・スクールの土地とコリアが所有するフロリダの土地の交換交渉が可能となる。インディアン・スクールの土地は90エーカーなので、当然、土地交換によって差額が発生する。この差額はアリゾナのアメリカ・インディアン保護のために使う資金となった。

ちなみに、連邦政府が獲得したフロリダの土地の内、80,070エーカーは、ビッグ・サイプレス国立保護区、5,109エーカーはフロリダ・パンサー国立野生保護区、残りの19,620エーカーは、テン・サウザンド・アイランド国立野生保護区となっている。

 
第二の土地交換

バーロン・コリア社は、大手ディベロッパーで全米に物件を持ち、石油産業や農業にも進出している。この会社は、連邦政府から交換して受けたフェニックス・インディアン・スクールの土地の内、75エーカーをフェニックス市がダウンタウンに所有する土地と交換したのだ。

バーロン・コリア社のねらいは、ダウンタウンにビルを建設してテナントを求めて収益を上げることだ。フェニックス市のねらいは、ダウンタウンの活性化だ。この両者がそれぞれ共通のメリットをねらって第二の土地交換が成立したのだ。

こうして3者の土地交換が実現したのは1996年。これは、連邦政府、私企業、市政府がかかわり合った巨大な土地交換として、アリゾナの歴史に残る一大事業と言える。

 
スティール財団

75エーカーという広大なインディアン・スクールの土地を得たフェニックス市は、ここに公園を設置することを決定。早速、資金調達を計り、財界などに働きかける。

その結果、スティール財団が250万ドルを寄付。当財団の名を取り、「スティール・インディアン・スクール公園」と言う名称となった。この財団は、もともとホランス・スティールというフェニックスの実業家が作ったもの。彼は1896年、フェニックスのモルモン教の一家に生まれる。フェニックス・ユニオン高校を卒料後、第一次大戦で従軍してフランスへ。戦後、結婚してビジネス界へ。運送会社から始まり、石油会社を経営して成功。そして1985年に逝去。スティール財団は、フェニックス中央図書館、フェニックス交響楽団、ハーバーガー劇場などにも財政てきた。

 
公園の設計

公園建設でユニークな点は、アリゾナのアメリカ・インディンの各種族代表、公園局、設計技師、業界の代表、そしてフェニックス市民が共同で設計にあたったということだ。市の公園とインディアンの歴史が共存する企画だ。
 
今後の公園

昨年、公園建設の第一段階を終え、今年は第二段階が始まる。第二段階では、公園内の北東部30エーカーを使ったフェニックス・グリーンが建設され、7th Street沿いの入り口も設置される予定。

また、現存の校舎も内部が改装される。1902-1904年に建設されたダイニングホール(食堂)は、アメリカ先住民文化センターとなる。1931年に建設されたグラマー・スクールは、公園局の管理部として使われる。そして、1922年に作られたメモリアル・ホールは、様々なイベントなどに利用されることになっている。

こうして、公園として市民に溶け込むインディアン・スクールは、過去のアメリカ・インディアンの悲喜こもごもを伝えながら、新世紀を迎えたのだ。

 
バーロン・コリア社の開発事業

インディアン・スクールの土地をフェニックス市と交換して、ダウンタウンに土地を確保したバーロン・コリア社。アメリカ・ウェスト・アリーナ、バンクワン・ボールパークと並んで、フェニックスのダウンタウン活性化を狙うフェニックス市当局と歩調を合わせ、一大開発事業に乗り入れた。彼等は地元ディベロッパーのオーパス・ウェスト社とジョイント・ベンチャーを組み、高層ビルの建設事業に着手する。これをコリア・センター (Collier Center) と呼ぶ。

コリア・センターは、2nd StreetとWashington Streetに位置し、3つの高層ビル、ホテル、コンベンション・センター、ショッピング・センターを抱える。現在は、第一段階が完了し、高層ビルが一つ立ち上がった。ここには、Bank of Americaが入居し、その他レストランなどがテナントとして入っている。

さて、連邦政府から交換して得たインディアン・スクールの土地は、前述の通り、90エーカー。フェニックス市と交換して出した土地は、75エーカー。残りの15エーカーはどうなっているのだろうか。

この15エーカーは、Central AvenueとIndian School Rd.の北東コーナーに位置し(右下写真)、現在も空き地だ。しかし、もちろん将来の計画は念入りに立てられている。

彼等の計画は、数年後に新たな開発に着手することだ。ここにもオフィスビル、ホテル、ショッピングなどの建設をし、テナントを募っている。すでに、ブループリントは出来ており、後は資金とテナントの数で決まる。

こうして、インディアン・スクールは全く新しい様相を私達の前に見せてくれている。しかし、決して忘れてはならないのは、そこで苦闘したアメリカ・インディアンの子供達の存在だろう。

 




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