2001年 4月号 特集

ペトリファイド・フォレストの不思議


ペトリフ ァイドとは、化石になったという意味。
つまり、「化石の森」がペトリファイド・フォレスト。
国定公園に指定されている。
今月は、このユニークな国定公園を探ってみよう。
  化石となった丸太

行き方
 フラッグスタッフからホルブロックまでインターステート40号を東に向かう。公園の入り口が2ヵ所あり、それぞれ行き方が異なる。
北口:ホルブロック過ぎてを更に40号を東に向かうと、まもなく標識が見えてくる。北口に入るとビジターセンターがある。
南口:ホルブロックから180号線に乗り換え、南下。
 公園は実際には2つの部分から成り、北側がペインテッド・デザート、南側がレインボー・フォレストと呼ばれる。

ペトリファイド・フォレスト
化石の森。いわゆる森のイメージを抱いてここを訪れ、失望する人がいると言われている。まず、我々の目に飛び込んでくる風景は、荒涼とした砂漠に横たわるおびただしい数の丸太の破片だ。しかもこの丸太はすでに木ではなく、石となっている。その鮮やかな光沢は、今まで多くの人々を魅了し続けてきた。
 その上にこの砂漠は、ペインテッド・デザートと呼ばれ、まるで誰かが絵の具で塗ったように、見事な地層の色彩を見せてくれる。大自然は、正に偉大な芸術家だ。

公園内でよく見られる古代先住民の絵
誰が見つけたのか
 16世紀には、ヨーロッパ人がこの近辺まで来ていることがわかっているが、ペトリファイド・フォレストの具体的な描写はない。仮に見つけても、金を探していた彼等の目には無意味な砂漠にしか映らなかったのかも知れない。
 その後2世紀経ってから、1850年代に、科学者や地形技師などがこの地を訪れている。彼等が集めた化石の破片は、東海岸や中西部の学校や博物館に送られていた。当時は地元でカルセドニー・パークと呼んでいた。カルセドニーとは、ギリシャ産の灰白色の石のことだが、木の化石がその石に似ていることから、このような名前が付けられていた。このカルセドニー・パークを国定公園にしようとする動きが19世紀末から始まり、連邦政府が専門家を送って調査を始めた。
 ところが、調査が進むと、この地を見つけた人間は白人ではなく、古代先住民のアナサジ族だったことがわかった。また、アナサジだけでなく、シナワ、モゴヨンなどの古代先住民もこの近辺で生活をしており、互いに交流をしていた。公園内には、500箇所以上の遺跡が散在している。
 こうして地質学、考古学の調査が進むと、更に注目に値する事実が発見された。

 1984年8月、ペトリファイド・フォレストで、テキサス・テック大学の大学院生、ブライアン・スモールがカリフォルニア大学の古生物学者のグループと植物の化石を研究していた。突然、スモールは、動物の足首の骨を見つける。これが、恐竜の骨であることに気付くまでそれほど時間は必要としなかった。スモールは、他の同僚を説得して、更に発掘を進める。そしてまた同様の骨を発見。同年の冬、カリフォルニア大学バークリー校で、この骨は単に恐竜の骨ではなく、全く新しい種の生物のものであると結論した。翌年春、カリフォルニア大学の古生物博物館が調査団を当地に送り、発掘を再開。
 1985年6月6日に2億2千5百万年前の恐竜の骨をほほ完璧な形で発掘した。これは、大型の犬ほどの大きさで、最新の発見であったが、最古の恐竜の化石であることがわかった。その後、似たような大きさの恐竜の化石が数体発掘されている。この発掘で、恐竜が少なくとも2億2千5百万年以前に地上に存在していたことが証明された。

太古の昔のアリゾナは?
 ペトリファイド・フォレストで見つかった化石の恐竜が生きていた頃のアリゾナを想像してみよう。
 時は中生代の初期、三畳紀。まだ世界の陸が地続きでひとつの大きな大陸だった。温度は今よりも高く、海岸は亜熱帯で草木が多く、内陸部は乾燥していた。この時代に恐竜は誕生したのだ。
 アリゾナの位置は現在よりかなり赤道に近かった。緯度が現在のパナマの当りだと考えても良い。
 アリゾナ北東部は、比較的真っ平らで広大な沿岸平野で、沼地や池が点在し、泥の河川が交錯していた。亜熱帯気候のために肥えた土地には多彩な植物が繁殖していた。これより南側は火山活動が活発な山脈が連なり、現在のカリフォルニア、ネバダ州は海であった。

化石生成の過程
 アリゾナ南部の山脈から数え切れないほどの河川が平地に流れ下り、土砂が沈殿する。時々氾濫した急流が木々を飲み込み、おびただしい数の丸太が平地に流され、土砂と一緒に沼地の底に沈んでいく。丸太、木葉、昆虫、生物の骨などが沼地に沈殿する。土砂は外気の酸素をシャットアウトするため保存に最適だった。そして沈殿した木や骨の中に水中のケイ素が徐々に浸透。ケイ素が酸素と化合し、繊維の中に石英を作りだし化石となっていく。
 三畳紀の末、この一帯が沈下すると洪水で新鮮な水が入り込んで湖となる。その後、土地の隆起が始まり、圧力で丸太にひびが入る。そして、強風と雨水で少しずつ土砂が削り取られてきた。
 こうして、現在、丸太や生物の化石が地上に現われ、私達の目で見ることができるようになったのだ。
 地下にはまだまだ多くの化石が眠っていることがわかっている。今後の浸食で過去が未来に戻ってくる日が来るのだ。

アゲート・ブリッジ
 自然が作った橋。一本の木が倒れたまま化石となり、下の土砂がなくなって、あたかも誰かが橋を渡したように見える。1930年代の初期に、この橋が将来倒壊することを心配して、橋の下をコンクリートで支えるようにした。
 しかし、自然はゆっくりと変化をする。この橋がなくなるのは、100年後?あるいは100万年後かも。

化石は園外持ち出し禁止
 1884年、サンフランシスコの実業家達がカルセドニー製造会社を設立。彼等は、ペトリファイド・フォレストに累々と横たわる丸太の化石に目を付け、これを加工して宝石として売ることを考えた。そして、たちまち短期間で700kgもの化石をサンフランシスコに出荷する。ところが、宝石細工師はさじを投げてしまう。理由は、化石が固すぎて切断や練磨が出来ないということだった。その上、傷が入るとそこから亀裂して壊れやすいという難点もあった。そこで、彼等は会社を売却処分に。
 新しく会社を引き継いだのが、ウィリアムズ・アダムズ。アダムズは、この化石で商売ができると信じた。1888年の夏までに、彼は18トンもの化石を持ち出した。しかし、結局このビジネスは成功することがなかった。
 その後も、化石で一画千金を狙う者が出たり、この一帯を破壊する者が後を絶たない。こうして、1906年12月8日に時の大統領、ルーズベルトがこの地を国定記念物と指定。1962年には、国定公園の指定を受ける。現在、ペトリファイド・フォレストからの化石の持ち出しは厳禁となっている。



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