2001年 2月号 特集

アリゾナの政治(2)

今月は先月に続いて、アリゾナの政治に関する話を紹介しよう。

アリゾナ州旗:中央の星は、アリゾナの主要産業である銅の色を使っている。



女性躍進のアリゾナ州政府

女性が政界に進出したり、社会のリーダーシップを取ることが珍しくなくなったアメリカ社会。
アリゾナは、州の行政府の重職を女性が勤めている。

州知事
ジェーン・ハル
総務長官
ベッツィー・アイレス
司法長官
ジャネット・ナポリターノ
教育長
リサ・グラハム・キーガン

共和党が強いアリゾナ

表1

表2
最近の選挙の結果では、共和党が著しい強みを発揮しているのが、アリゾナ州だ。
表1は、州内の投票者が登録した党別のパーセンテージ。民主党がじり貧で、共和党の堅実な伸びが見られる。
表2は、過去の大統領選挙に於ける各党の得票率。1996年は、クリントンが強みを見せたため、州内も民主党(クリントン)に傾いたが、昨年(2000年)の大統領選挙は、ブッシュ(共和党)がリードした。

2000年大統領選挙の州別状況

州会議員の政党別議席数
  共和党 民主党
上院 15 15
下院 36 24


アリゾナの州知事あれこれ
ダムの建設に反対し軍事権を使った荒武者知事
ベンジャミン B. モアー(1933-1937)
 1869年にテネシー州で医者の息子として生まれる。アーカンサス医科大学を卒業後、彼も医者となり、アリゾナ州テンピに移ってくる。 彼は、アリゾナ州の憲法起草の代表者会議の一員となり、州教育委員会書記官として活躍。1933年、初代州知事のジョージ W.P. ハントが8期目の知事を目指すが、民主党からモアーを始め4人がプライマリ(政党の予備選挙会)に名を挙げ、モアーが勝利。その後州知事選挙で、共和党の候補者を破って知事となる。
 アリゾナにとって水の確保は重大な課題だが、コロラド川の水の利権を巡ってワイオミング、ニューメキシコ、コロラド、ネバダ、カリフォルニアなど各州と論争が絶えなかった。1934年、アリゾナ西部のパーカーでダムの建設が始まる。パーカーダムは、カリフォルニアへの水の供給を目的としているため、モアーは建設に憤慨し、アリゾナ国家警備隊を出動させる。驚いた連邦政府は内務省長官からパーカーダムの建設を数日中止させ事態の収拾を図り、その後最高裁判所が介入して、モアーに命令を下して軍隊を撤退させた。結局、アリゾナの主張は裁判で却下させられる。
 このように短気なモアーだが、心の広い知事としても有名だった。彼の任期中は丁度、大恐慌で大変な時期。失業者が巷に溢れていた。医者でもある彼は、昼食時に州議会庁舎で無料診断を行ったり、クリスマスを迎えるころになると、治療費の支払いが滞納している患者にクリスマスカードを送ったりした。そのクリスマスカードには「支払い完了」と書かれてあった。
 彼の知事任期は2期続いた。
 彼のひ孫にあたるのが、アリゾナ学園の現校長、ケリー・モアー氏である。
知事の辞任、死亡、後任
 第14代州知事カストロが1977年に辞任。任期はまだ残っていたが、カーター大統領からアルゼンチンの米国大使に任命された。アリゾナの憲法では、知事が任期満了以前に公務を去る時は、総務長官、司法長官、財務長官、教育長、の順で職務の引き継ぎをすると定められている。
 そこで、総務長官であったウェスリー・ボリンが第15代の州知事に就任する。同年後半の選挙には出馬する予定にしていたボリンだが、選挙を待たずして、1978年3月4日に心臓発作を起こして急死。
 この時の総務長官は、ローズ・マフォード。従って、本来なら彼女が州知事になるはずなのだが、マフォードは選挙で総務長官に選ばれたのではなく、ボリンが急遽、知事に就任した時に任命された。選挙で選ばれた長官にのみ知事職の引き継ぎがなされるので、マフォードは、その資格がなく、次の引き継ぎ権、つまり司法長官を勤める者に知事職が廻ってきた。その時の司法長官はブルース・バビット。バビッドは知事職を引き継ぎ第16代の州知事に。彼は当時39才
アメリカの州知事史初めて弾劾された不名誉知事
イバン・ミカム(1986-1987)
 ミカムは、ユタ州の小さな田舎町で生まれ、保守的なモルモン教会の強い影響下で育つ。第二次世界大戦後、アリゾナに移り、グレンデールで自動車販売業を始める。極右の保守層に支えられ、州知事選に出馬するが1964年、1974年、1978年、1982年と4回破れる。1986年にやっと選挙に勝利し、州知事に。
 彼の社会改革計画は、比較的、選挙民に受け入れられたが、彼の発言が次々と人々の反感を買うようになる。まず、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの誕生日を休日と法制化する運動に対し、ミカムは反対の意を表しただけでなく、「キングには、休日の価値がない。」と口をすべらし、全米からミカム批判の声が上がる。その後、ミカムの口からヒスパニック系、女性、ユダヤ系、東洋系への攻撃的な発言が続いた。当時アリゾナでのゴルフを楽しみに来る日本人を「目先が尖った人達がゴルフを」と表現するなど、マスコミから顰蹙を買う。そこで、彼の批判をするマスコミ関係者とは一切コミュニケーションを拒絶。彼の意にそぐわない法案には次々と拒否権を行使。彼は自分の敵を「意見を異にする少数の民主党員とホモセクシャル」と言ってのけたが、結果的に、マスコミを始め、州の上下院議員のほとんど、州公安省、司法長官までが彼の敵となってしまう。モルモン教会内でさえも彼の支持者と反対者の間で意見が半分に割れる。
 州知事就任後、6ヶ月後に、州知事リコール運動が州内から起こる。1987年11月までには、リコール選挙を可能にするに十分な署名が集まった。その直後、司法長官がミカムの選挙資金運営をめぐって不正が発覚した旨を発表し、調査開始。州議会も弁護士を雇って独自に調査を始め、次々とミカムの不正容疑を支える証拠が提出される。2週間後、州議会は公聴会を行ない、46対14でミカムの弾劾が可決。1988年4月4日には法廷でミカムへの有罪の判決がおり、州知事の職から追放される。従ってリコール選挙はキャンセルとなった。
アリゾナ初の女性州知事
ローズ・マフォード (1987-1990)
 1987年末から臨時知事としてミカムの代わりに知事職を代行していたローズ・マフォード総務長官が、1988年4月ミカムが州知事職から離れると同時に、正式に知事となる。マフォードは、アリゾナ州初の女性知事。
 アリゾナ州東部のグローブで生まれる。両親はオーストラリアからの移民で、父はグローブで銅山の坑夫をしていた。1941年に州財務省で秘書として働くためフェニックスに移る。1982年、1986年の選挙では圧倒的多数で総務長官に選出される。
 マフォードは、民主/共和両党から好意的に受け入れられ、ミカム時代の政治的混乱を見事に乗り越えた。
ビジネスで墓穴を掘った知事
ファイフ・サイミントン (1990 - 1997)
 ニューヨーク生まれ。バルチモア育ち。19世紀の鉄鋼/鉄道大実業家、ヘンリー・クレイ・フリックの子孫。
 知事就任前は、不動産ディベロッパー。その時に行った事業に不正があったとして起訴され、1977年に知事職を辞任。彼は有罪の判決を受け刑務所へ。2001年1月、大統領の任期を終える直前、クリントンが数人に恩赦を与えたが、サイミントンもその一人。はたして彼は本当に自由になるだろうか。

州政府の職員として活躍する日本人
寺内 明央
てらうち あきお

 大阪府高槻市出身。大阪では将来を嘱望された銀行マンだった彼が、突然辞表を出して、アメリカに。海外雄飛の夢を捨て切れなかった。9年前の話だ。
 アメリカの地を踏んで、アリゾナ州立大学 (Arizona State University)に入学。ビジネスを学び、卒業。
 1996年に商務省に就職。日本/韓国担当官としてアリゾナの企業と日本/韓国の企業の橋渡しの役を。東京に設置されている州の駐日事務所と連携を取りながら、貿易、投資の促進を行ってきた。1年半前から今までの仕事の上にハイテク関連の輸出促進を扱うようになり、相手は日本/韓国のみならず全世界と広がり、多忙を極めている。
 一番彼の頭を痛めるのは、日米のビジネス文化の違いから誤解が生まれやすいことだ。
 空手初段で鍛えた体と温厚な人柄、柔軟な発想と忍耐力で州の発展を支える一人となっている。
 32才。現在アメリカ人の奥さんと二人暮らし。アリゾナが大好き。太陽と広大な空間、そして人間の大らかさ。これに魅せられた日本人だ。


人口増加にともない下院議席増加のアリゾナ

2000年国政調査の結果、アリゾナは、過去10年で40%の人口増。これにともない、州選出の下院議席がこれまでの6議席から8議席となる。





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