当のウェイド・ハンプトン本人は、知事の任期を終えると、サウスカロライナ選出の上院議員としてワシントン入りし、華やかな成功の道を歩む。一方、「ウェイド・ハンプトン」の鉱山には厳しい艱難の道が続いていた。ラッフィナーとマッキンノンは、つるはしとシャベルで固い地面を掘り続ける。よい鉱脈はあっても、鉱山にするまでの資金が足りなかった。鉱山にしない限り、売りにも出せない。万事休す。
そこに助けの手が伸びてきた。それは当時のアリゾナ準州知事、フレデリック・トライトルだった。トライトルは、この土地を500ドルで賃貸し、事業を成功させようと乗り込んできたのだ。
彼はこのリース契約に署名し、500ドルを払った後、山積していた問題を次々と解決していかなければならなかった。
まず、運送交通ルートの確立、機械、労働力の確保、そして資金。たとえば、精錬工場の操業には石炭が必要だ。ところがこの石炭をイギリスのウェールズから運んだから大変だった。まず、石炭はイギリスから貨物船に積載され、大西洋を南下して南米のホーン岬を回る。そして太平洋に入り、北上しサンフランシスコまで輸送。今のようにパナマ運河が開通していないので、気が遠くなるような海路だった。サンフランシスコで、今度は汽車に積み替えられ、鉄道を使ってアリゾナ北部のアシュフォークの駅で荷下ろしされる。そこからは馬車で荷を引っぱり、砂漠のガタガタ道をジェロームまで。ということで、その運送時間もさることながら、運送費用が甚大な出費となってトライトルの両肩にのしかかってきた。
そこで、トライトルは一案を。彼はニューヨークの投資家、ジェームス・マクドナルドとユージン・ジェロームに資金援助を求めたのだ。ジェロームは、ひとつだけ条件を付けて投資を引き受けた。その条件というのは、自分の名前「ジェローム」を町の名前にするということだった。
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