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2002年 1月号 特集
| アリゾナが世界に誇る博物館のひとつ。この博物館を訪問すれば、アメリカ先住民の歴史、文化、現状、芸術などを詳細に知ることができる。今月は、このハード博物館に立ち寄ってみよう。 |
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ハード博物館
ハード博物館 (The Heard Museum) は、1929年にドウァイト・ハードとその妻、メイ・バートレット・ハードによって創立された。ハード夫妻は、彼等が個人的に収集した多くのアメリカ・インディアンの工芸品を展示。当時の博物館は、現在の1/8の大きさだった。
アメリカ南西部のアメリカ・インディアンの豊かな文化と歴史を知るには最適な博物館として、アメリカ国内はもちろん、海外でも広く認識されている。
創立者ドウァイン・ハードは、博物館の完成を見ることなく、他界してしまったが、彼の情熱は、その後、様々な人々によって受け継がれ、2年前には大規模な拡張工事が完了し、今日に至っている。 |
ハード博物館を支えてきた著名な人物
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ベリー・ゴールドウォーター
アリゾナ州選出の上院議員、ゴールドウォーターは、アメリカ先住民の文化に深い理解を示していた。1935年からカメラを手にアリゾナを写し始めた彼は、まもなく、ハード博物館でアメリカ・インディアンの文化を紹介する講義を始めた。当博物館の終身理事に選出された彼は、1964年に437体ものホピ族のカチナ人形を博物館に寄贈。また、1994年には、彼が写した1,000枚以上の写真とネガも寄贈した。この中には、歴史的に非常に貴重な写真が多く含まれている。 |
サンドラ・デー・オコノー
アリゾナ出身で、アメリカ初の女性連邦裁判長。裁判長になる以前から、ハード博物館の評議員会長として活躍。裁判長になってからも、評議会の会合にはワシントンから駆けつけ、熱心に博物館を支えた。サンドラ・デー・オコノーギャラリーは、ハード博物館の中でも中心的な役割を果たしてきた。
フレッド・ハービー社
1876年に創立された会社。全米初の汽車内のレストラン・チェーン企業として出発。当社のハーマン・シュワイツァーは、多くの優れたアメリカ・インディアンの工芸品を会社のコレクションとして収集。1978年にハービー一家は、このコレクションをハード博物館に寄贈。4,000点に及ぶ西部先住民の陶器、織物、かご、ビーズ、宝石などが含まれている。
フレッド・ハービー社は、こうした工芸品をサンタフェ鉄道の宣伝に使い、西部に旅行客を魅了させるべく、マーケティングに使った。
ニナ・プリアム
ニナ・プリアムは、1955年に評議員となって、博物館の財政的支援をした。近年ニナ・プリアム慈善基金が当博物館に150万ドルを贈呈。彼女の貢献を称え、プリアム・ギャラリーが館内に設置されている。
その他、多くの市民が博物館を支えてきた。100万ドルを当館に寄贈したバージニア・ウルマンは、「私たちが先住民から土地を奪い、その後、私たちは、全く、彼等にキャッシュで払い戻したり、あるいは誠意を示して恩を返したりしてこなかったのです。」と言う。当館内には、ウルマン・ラーニング・センターが設けられ、先住民を良く理解できるチャンスを提供しようとしている。
館内には、各部族がそれぞれのブースを設け、彼等の歴史と現在の姿を写真やビデオなどで展示している。そこには、白人から土地を追われ、困窮してきた彼等の悲惨な歴史と、その中を絶えず守ってきた彼等の伝統文化の声を聞くことができる。
ハード夫妻の貢献
ドウァイト・ハードとメイ・ハードは、シカゴで結婚。時は1893年。19世紀も終わろうとしていた。メイの父はシカゴの実業家。彼、アドルフル・バートレットは、金物類の卸業を営んでいた。彼の会社は今でも
トゥルー・バリュー・ハードウェアTrue-Value Hardwareとして営業を続けている。1895年、夫妻はアリゾナに移ってくる。ドウァインが慢性の肺病に悩み、医者が温暖で乾燥した気候の場所に移るようアドバイスしたからだった。当時のフェニックスは、4,000人ほどの町だった。
夫妻は、フェニックスがすっかり気に入ってしまった。そして、この町の発展に力を注ごうと決意。ドウァインは、数人のシカゴの友人達と経済発展のために様々な投資計画を練る。妻のメイは、町の文化発展に貢献しようとする。
ドウァインの投資計画は、不動産業から始まり、フェニックスやその周辺の土地開発を積極的に行う。1912年に彼は、新聞社アリゾナ・リパブリンカンを買収。後にアリゾナ・リパブリックとなる。この新聞を通して、彼は、フェニックスのみならずアリゾナ全州に政治的/経済的な影響を与えることになる。
夫妻はカサブランカと呼ばれる邸宅を建設。ここで、ゲストを招待してシェークスピアの劇を披露するなど、活発な社交活動を展開。この邸宅にはセオドア・ルーズベルト大統領が宿泊したり、ハーバート・フーバー大統領が立ち寄ったりした。
1926年、夫妻は、19th StreetとPolk Streetの土地を買収。アマチュアの考古学者フランク・ミドベールを雇って、ホホカム・インディアンの遺跡を発掘させた。発掘された数々の工芸品は、現在、ハード博物館に展示、保管されている。
ドウァインは、ルーズベルト・ダム、セントラル・アベニュー橋、サウス・マウンテン公園などの建設に主要な役割を演じ、アリゾナ穀物育成協会、アリゾナ牧場主協会、アリゾナ綿花育成協会、アリゾナ優良道路協会、その他各種組織の責任者を務めた。
メイも、積極的に地域発展に関わり、フェニックス女性クラブに建物と土地を寄贈。ここが、1950年代にフェニックス公共図書館、フェニックス子供劇場、フェニックス美術館の敷地となる。その他、YWCA、セント・ルーク・ホーム、キャンプファイヤー・ガールズ、フェニックス芸術協会などで中心的な活動を展開した。
こうして多忙を極めた夫妻だが、最後の事業として博物館を建設することを決めた。土地、建物、そして膨大な量のコレクションを博物館に寄贈。スペインのコロニアル・スタイルの建物の中には、中央コートヤードを囲んで12のギャラリーが作られた。完成は1929年。ところが、ドウァインは、完成の1ヶ月前にこの世を去ってしまう。しかし、妻のメイが引き続き完成に向けて力を注ぎ、6月18日に正式に博物館として私営非営利法人となる。
1951年3月14日。メイが息を引き取る。ハード夫妻の情熱と努力は、広く人々に語り継がれ、その後もフェニックスの市民の中に生き続けた。
その後の発展
ハード博物館は、1956年にハード博物館組合を創立し、社会に教育の機会を提供する団体として発展。組合員は当時30人(団体)から現在700人(団体)まで拡大した。
その後1958年、1969年、1984年、1999年と建物の拡張を図り現在に至っている。毎年の訪問者は、25万人。図書館には、2万4千冊の書籍、5万点の写真/データが備わっている。 |
| ハード博物館のイベント予定(1月) |
| 4日 |
陶芸家リチャード・ゼイン・スミスとのギャラリー・イーブニング |
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| 5/6日 |
先住民のかごと陶器。アーティストのデモンストレーションと話 |
| 10日 |
著者との対話:チリカフア・アパッチ文化 |
| 12日 |
オフ・ザ・ラック:キルトと織物、ランチェオン/ファッションショー |
| 12&13日 |
先住民のキルト/織物マーケット |
| 17日 |
ナバホの歴史:ショートコース |
| 24日 |
ナバホの歴史:ショートコース |
| 26&27日 |
第6回ギルト図書、工芸品セール |
| 31日 |
ナバホの歴史:ショートコース |
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開館時間:毎日、午前9時30分〜午後5時
(元日、イースター、メモリアルデー、独立記念日、
レーバーデー、サンクスギビングデー、クリスマスデーは休館)
入場料:大人$7、子供(4〜12才):$6、4才以下::無料
ハード博物館北別館
最近、ハード博物館は北別館を建設。ここには、ギャラリーが一室とギフトショップが設けられている。
開館時間:月〜土:午前10時〜午後5時30分
入場料:大人:$2、子供(4〜12才):$1 |
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オアシス
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